キョウトシチー(欧字名:Kyoto City、1991年5月3日 - 2011年3月29日)は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1995年のウインターステークス、1996年のシーサイドステークス、名古屋大賞典、東京大賞典、1997年の浦和記念、白山大賞典、1998年の白山大賞典。

ライブリマウントやホクトベガとともに中央・地方交流黎明期を代表する1頭である。走った競馬場は中央・地方合わせて16場にも昇る。1994年から1999年まで6年連続で勝ち星を挙げており、息の長い活躍を見せた。

戦績

1993年9月の新馬戦でデビューし2着。1994年4月の未勝利戦で5戦目にして初勝利を挙げたが、その後しばらくは条件戦でくすぶっていた。1995年12月のウインターステークス(現東海ステークス)で重賞初挑戦初勝利を挙げた。

1996年4月の名古屋大賞典で初の地方遠征を行い優勝、9月のシーサイドステークス(現・エルムステークス)で2度目の重賞制覇。さらに年末の東京大賞典でコンサートボーイを抑え優勝している。

1997年4月からはダートグレード競走の格付けが行われ、キョウトシチーは昨年にも増して積極的に各地へと遠征し、金沢の白山大賞典、浦和の浦和記念に勝利している。さらに1998年にはドバイワールドカップにも参戦した(結果は6着)。その後も交流競走を中心に活躍、1999年10月の白山大賞典5着を最後に現役を引退した。

獲得賞金は6億2870万1000円に達し、これは2023年にディープボンドに更新されるまで、GI級競走未勝利馬としての最高額であった。

引退後

引退後は2000年から北海道門別町のクラウンホースメイトで種牡馬となった。引退前に発足した、キョウトシチーの出資者を中心に結成された同馬の愛馬会「京都市景観保存会」が種牡馬パンフレットを制作し、種付け数増加に一役買っていたという。

産駒は、クラウドシチーが函館の3歳未勝利戦を勝ち上がったが、重賞を制するような特筆すべき活躍を見せる馬は現れなかった。

2009年1月1日付で用途変更、種牡馬を引退した。その後は日高町の幾千世牧場で功労馬として繋養されていたが、2011年3月中旬頃から体調が悪化し、3月29日の夕方に死亡した。20歳没。

競走成績

血統表


脚注

注釈

出典

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post
  • キョウトシチー - 競走馬のふるさと案内所

Halbtägige private geführte Tour durch die Altstadt von Kyoto

お洒落なタテガミ / Catalog「エスパーダシチー」|馬画人 (まがじん)

クイティウ チロ@カンボジア

キョウトシチー|JBISサーチ(JBISSearch)

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