ステパニ公(ロシア語: Князь Степаньский)はステパニ公国の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。公位・公国の名は、その中心都市だったステパニによる。公と公国に関する史料はきわめて少なく、不明な点が多い。
ステパニ公の一覧
- ロスチスラフ - 在位:1220年代
- おそらく父称はグレボヴィチとみなされている。一方、ピンスク公ロスチスラフ・スヴャトポルコヴィチと同一人物とみなす説もある。
- グレプ・ロスチスラヴィチ - 在位:? - ?
- 上記のロスチスラフの子とみなされているが、アレクサンドロヴィチ(アレクサンドル・グレボヴィチの子)という説もある。
- イヴァン・グレボヴィチ - 在位:? - 1289年/1290年
- 上記のグレプの子。
- ウラジーミル・イヴァノヴィチ - 在位:1289年/1290年 - ?
- 上記のイヴァンの子。『イパーチー年代記』に、イヴァンが死にその子のウラジーミルが後を継いだことが記されている(この間不明)
- セミョーン - 在位:? - 1387年 - ?
- 上記のウラジーミルの孫とする説、ナリマンタスの孫とする説がある。
出典



