岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1月10日 - 1989年〈平成元年〉2月18日)は、日本の内務官僚・政治家。

人物

東京帝国大学経済学部卒業後、内務省に入省。警察畑を歩み公職追放後の1955年(昭和30年)衆議院議員に東京4区から初当選(連続当選6回)。岸内閣の内閣官房副長官、労働・行政管理・通産の各政務次官、自民党東京都連幹事長などを歴任したが、入閣はできず1972年の衆院選で落選し政界を引退した。墓所は多磨霊園。

来歴

1901年(明治34年)1月10日、三重県津市出身。

水戸高校を卒業し、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部経済学科卒業・高等文官試験行政科に合格する。

1929年(昭和4年)、内務省警視庁に入庁。1935年(昭和10年)に特別警備隊長となる。1940年(昭和15年)、特別高等警察特高二課長となる。1944年(昭和19年)に特別高等警察部長となる。1945年(昭和20年)内務省警備局保安課長を務める。

1946年(昭和21年)、戦後、公職追放となる(1952年(昭和27年)まで)。

1953年(昭和28年)に第26回衆議院議員総選挙東京4区落選(自由党吉田派)。

1955年(昭和30年)、第27回衆議院議員総選挙初当選(日本民主党)。1957年(昭和32年)、第1次岸改造内閣で内閣官房副長官(事務)となる。

1958年(昭和33年)に第28回衆議院議員総選挙当選(自由民主党)。1960年(昭和35年)の7月には第1次池田内閣で労働政務次官となり、同年11月に第29回衆議院議員総選挙で当選する。1961年(昭和36年)、第2次池田第1次改造内閣で行政管理政務次官として務める。

1963年(昭和38年)に第30回衆議院議員総選挙当選。1964年(昭和39年)の7月に第3次池田改造内閣で通商産業政務次官となる。同年11月、第1次佐藤内閣で通商産業政務次官として務める。

1967年(昭和42年)、第31回衆議院議員総選挙当選。2年後の1969年(昭和44年)に第32回衆議院議員総選挙当選。

1971年(昭和46年)、勲一等瑞宝章受章。

1972年(昭和47年)、第33回衆議院議員総選挙次点。落選を機に引退する。

1989年(平成元年)2月16日に死去。88歳没。

家族

  • 父 - 岡崎貞伍(海軍中将)
  • 母 - 綾女

元秘書

  • 小倉基(渋谷区長、東京都選挙管理委員会委員長)

栄典

位階

  • 従三位

勲章等

  • 勲一等瑞宝章(現・瑞宝大綬章)

参考文献

  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年11月。

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