黒木 奈々(くろき なな、1982年〈昭和57年〉11月12日 - 2015年〈平成27年〉9月19日)は、日本のフリーアナウンサー。鹿児島県鹿児島市出身。身長は172cm。最終所属事務所はセント・フォース。第一種普通自動車免許、実用英語技能検定2級、フランス語検定2級の資格を有する。
経歴・人物
アナウンサー
小学生時代からアナウンサーを志し、中学校で軟式テニス部、高校で硬式テニス部に所属して主将を務め、特技はフランス語、テニス。実父の影響から熱烈なラグビーファンでもあった。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て女性アナウンサーの輩出が多い 上智大学外国語学部フランス語学科を卒業、在学中に1年間フランスへ留学。大学入学直後からフジテレビのアナウンススクール、テレビ朝日アスクで修練した。また、在学中にフジテレビの『めざましテレビ』(2003年3月28日放送)の取材を受け、同局OGの小島奈津子を目標に「アナウンサーを目指している」と語った。
アナウンサー採用試験に1年留年して臨んだが、在京キー局と地方局の選考を通過せず、報道記者として2006年4月に毎日放送(MBS)へ入社。同期はアナウンサーの前田阿希子や伊藤広。報道局ニュースセンター所属報道記者として活動するが、2007年2月に退社。
退社後は毎日放送の先輩に勧められたTBSニュースバードのキャスターオーディションに合格。2007年4月からクリエイティブ・メディア・エージェンシー (CMA)へ移籍、TBSニュースバードでニュースキャスターを務め、『ドクター月尾 地球の方程式』の2代目聞き手役や、2009年4月から半年間は早朝から午前7時台を担当した。同局のキャスターであった汾陽麻衣は鹿児島県出身で同年齢で、亡くなる近年は繋がりはなかったが親交があった。
2010年3月にCMAを退所。8月にセント・フォースへ移籍したが、ニュースバードは2011年3月まで出演。TBSのウェブサイトは2010年4月以降「フリーアナウンサー」と表記した。
2011年4月からNHK BS1の『ワールドWaveトゥナイト』でサブキャスターを務めた。ニュース、天気予報などを担当、フランス語で取材インタビューもこなした。
2014年3月31日からNHK BS1の『国際報道2014』のメインキャスターを務めた。
闘病生活と復帰
2014年7月27日、レストランで突然に内臓をぎゅっと握られたような激痛を覚え、救急車で病院へ搬送され緊急入院、急性胃潰瘍と診断。当初は早い夏休みとして8月18日に復帰したが、検査で悪性細胞が発見され8月27日から休養、9月10日に胃癌を患っていると公表。公表直前の最初の診断でステージIの初期癌と診断、がん研究会有明病院のセカンド・オピニオンも当初は同様であったが、再検査で開腹術による胃の全摘出を要すると診断。9月19日に手術、10月5日に退院、関係者らは手術は成功して転移もないと発表した。
退院後は1年間の予定で抗がん剤治療を継続、2015年1月4日にNHK総合テレビの『国際報道2015特別版』へ1日限定で復帰、早ければ2015年4月の本格復帰を目指し治療に専念すると表明。2015年3月26日、闘病記『未来のことは未来の私にまかせよう31歳で胃がんになったニュースキャスター』を文藝春秋から上梓、治療を継続しつつ、3月30日から毎週月曜日限定で『国際報道2015』のキャスターに復帰。
死去
2015年7月の定期検査で癌のリンパ節転移が判明、8月上旬に都内の病院に再び入院、9月に自宅へ戻った。7月27日放送以降は体調不良として再び出演を休止、8月31日の放送で休養を発表。
休養後の復帰を目指したが、2015年9月19日午前2時55分に、都内の自宅で両親に看取られ死去。セント・フォースが報道各社へFAXで伝えた。通夜、葬儀、告別式は黒木家とセント・フォースの合同葬として青山葬儀所で執り行われた。法名は「釋光蓮」。32歳没。
担当番組
- メディアの明日(NHK BS1)(2014年5月 - 、不定期番組)
- TBSニュースバード - 不定期(主に月曜夜間・水曜早朝・日曜日中を中心に担当)
- 東京証券取引所からのリポート(2009年3月27日)
- 早朝の「あさいちバード」 メーンキャスター(2009年4月1日 - 9月18日)、火曜日キャスター(2009年10月 - 2010年3月)
- 「ドクター月尾 地球の方程式」聞き手(2007年4月 - 2010年12月の最終回)
- 「CBS60ミニッツ」進行役(2010年4月14日 - 2011年3月23日)
- 黒木奈々・汾陽麻衣の屋久島紀行(TBSチャンネル・初回放送は2009年7月18日) - ナビゲーター
- プレミアムコレクション(BS-TBS) - リポーター
- ワールドWaveトゥナイト(NHK BS1)(2011年4月1日 - 2014年3月28日)サブキャスター
- 国際報道2015(国際報道2014)(NHK BS1)(2014年3月31日 - 2015年7月13日)メインキャスター
- 担当当初は全曜日担当。2014年8月28日から病気療養中だったが、2015年3月30日より月曜日担当として復帰。同年7月13日まで出演。8月31日に正式な休養入りが発表。
著書
- 『未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター』文藝春秋、2015年3月26日。ISBN 978-4-16-390238-8。
- 『未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター』文藝春秋、2015年3月26日。ISBN 978-4-16-390238-8。 - honto版
脚注
注釈
出典
参考文献
- “【追悼】報道番組キャスター 黒木奈々さんの胃がん闘病”. yomiDr. ヨミドクター (2015年9月20日). 2015年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月27日閲覧。
- “31歳で胃がん告知 NHK女性キャスター黒木奈々初告白 「その瞬間、頭の中が真っ白になりました」【全文公開】 『未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター』 (黒木奈々 著)”. BLOGOS (2015年4月12日). 2020年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月27日閲覧。
外部リンク
- セント・フォース|追悼 黒木奈々 - ウェイバックマシン(2015年9月24日アーカイブ分)
- 国際報道2015 追悼・黒木奈々さん NHK BS1 - ウェイバックマシン(2015年10月2日アーカイブ分)




