山名 義徳(やまな よしのり)は、江戸時代中期の交代寄合。但馬国村岡領主。
経歴
元文5年3月8日(1740年4月4日)に 筑後柳川藩第5代藩主・立花貞俶の八男として柳川藩江戸藩邸において出生した。立花氏時代は、同藩第7代藩主となった兄の立花鑑通(初め鑑致)から1字を賜り、立花致知(よしとも)と名乗っていた。宝暦5年(1755年)から通称を靱負と称した。
宝暦12年(1762年)- 山名豊暄の婿養子となり、山名豊貴(とよたか、のち義徳)と改名した。
明和2年(1765年)4月に家督相続した。
寛政6年(1794年)に隠居した。文政3年2月8日(1820年3月21日)に死去した。
人物
- 実兄(同母兄)は柳川藩一門の立花監物家2代目・立花致真(よしざね)。致真の娘・天寿院は立花鑑寿(鑑通五男)の正室であった。
- 甥にあたる柳川藩家老の立花通栄(織衛)との文書のやりとりが、「立花織衛家文書」に残っている。
- 家川念流剣術を習得しており、織衛文書に拠れば柳川藩士に念流剣術奥義を相伝している。
- 書画の才にも造詣が深く、狩野派・加藤文麗に付き画を学んでいた。雅号は文鶴と名乗っていた。
系譜
- 父:立花貞俶(1698-1744)
- 母:もん - 恵林院、角田六郎左衛門の娘
- 養父:山名豊暄(1714-1769)
- 正室:山名豊暄の娘
- 男子:山名義方(1765-1834)
- 生母不明の子女
- 男子:山名義矩 - 旗本・山名豊翔養子
- 男子:柳生久知 - 前名・山名義隣。柳生久通の養子
- 男子:山名義丈
- 男子:山名義峯 - 旗本(土屋氏(喬直流))・土屋匡直の養子として土屋徳直と名乗ったが後に帰家
- 女子:小笠原長世室 - のちに離縁し小堀政共室、政共は小堀政方の娘の養父
- 女子:松田貞丈室 - 死別後、最上義溥(最上氏21代当主)室
脚注
参考文献
- 「柳川市別冊・図説立花家記」(柳川市・柳川市史編集委員会編集・平成22年(2010年))
- 「柳川古文書館史料目録第18集 立花織衛家文書目録」(2008年、九州歴史資料館分館 柳川古文書館)
- 「旧柳川藩志・上巻」(柳川・山門・三池教育会編、昭和32年)
- 「寛政重修諸家譜」



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