松平 定郷(まつだいら さださと)は、江戸時代中期の大名。伊予国今治藩の第5代藩主。定房系久松松平家5代。官位は従五位下・筑後守。
生涯
元禄15年(1702年)4月29日、第3代藩主・松平定陳の弟で5000石を領した旗本・松平定昌の6男として誕生。享保8年(1723年)に従兄で4代藩主・松平定基の婿養子となり、享保17年(1732年)2月2日の養父の隠居により跡を継いだ。この時、従五位下、筑後守に叙任する。
藩政においては、享保の大飢饉により大雨と旱魃が相次ぎ、虫害にも苦しめられ、本来なら3万石のところが5000石ほどしか収穫できず、死者が相次ぎ、御用銀の借り入れや神社の祈祷を行なうほどであったという。延享5年(1748年)2月から宝暦12年(1762年)まで大坂加番を務めている。宝暦13年(1763年)には先代からの蒼社川の改修工事が完成した。
宝暦13年(1763年)4月19日に死去した。享年62。長男・定温は前年に早世していたため、定温の長男・定休が跡を継いだ。
系譜
- 父:松平定昌
- 母:不詳
- 養父:松平定基(1687-1759)
- 正室:遊 - 松平定基娘
- 長男:松平定温(1724-1762)
- 生母不明の子女
- 男子:松平定延
- 女子
- 養子
- 男子:松平定休(1752-1820) - 松平定温の長男




